今思っていること

何だかんだで人間関係で疲弊していた今年、一人で怒ったりモヤモヤしたり少しすっきりしたりを繰り返しながら、最近ようやく気持ちが昇華出来てきたのでまとめておきます。

私には、人から受けた嫌なことをやたらと忘れることができないというめんどくさい性質があります。頭の中でその出来事や言われた言葉、そのシーンを反芻し続けてしまうのですよね。そういうときだけ異常な記憶力を発揮。その時の相手の服装や細かな仕草まで覚えている。良くないことだと自覚はあっても、気づくと無意識に脳内で何十回も再生していたりします。これはマジで治したい。

思い出す度に、当時の怒りや憎悪が湧いてしまいます。ただこれはある程度繰り返せば、次第に落ち着きます(人より時間がかかりますが…)。怒りの感情が人より根深くなりがち。そしてそんな自分が醜く全然好きではない。

仕事面でもプライベート面でも、信用していた人々にちょっとアレなことをされるなどして人生全般が一気に失われた今年ですけれども、もう「裏切られた」とか思うのやめたい。

分かってるんですよね、「裏切られたとかほざいてるけど、お前が勝手に信用しすぎただけだろ」っていうのは。根本的には “その人たちを信用する” との判断をした自分が悪いのです。

利害が一致しなくなっても、他の人間への礼節は保つべきもの、と私は考えていたりして。しかし、一個人の価値観、人に強要できるものではありません。「利害が合わなくなったら食いつぶすべき、それが資本主義。それが正しい競争社会の在り方だ」と考えている人もいるでしょう。

それでもなお、私は一度信頼関係を構築した以上は、その後関係が維持できなくなっても、相手への礼儀は忘れないようにしたい、と思ってしまう。これは単なる個人的な美学の範疇。はいはい、分かってますよ。

色んなそういうウザい感情を振り払うべく、今までやったことないことに没頭してみようと始めたのがトレーニング。運動は高校の体育(しかもサボって頻繁に欠席していた)しか経験がなく、まさか大人になって自分が運動する習慣を身につけようとするなんて思っていませんでしたが、案外やってみると出来るもの。

こういう時は「己を磨く」に限ります。

悔しくて納得いかない感情のしんどさは、己が魅力的になることでしか解決できないと悟る

信用した自分がそもそもの原因だったとしても「納得できず、どう考えても相手の主張が理不尽すぎる」、世の中そんなこともあります。相手に対する不満は、相手を自分の思い通りに変えられれば良いですけど、それは100%無理。

もう、こうなったら己が魅力的になるしか道は無いなと、ある日悟りました。無礼で粗末な扱いをされた、そんな納得いかない感情は「そんなのどうでも良すぎワロタ」と軽く振り払える位、自分自身の自己肯定感を高めることで消滅させられるのではないかと気がついたからです。

「魅力的」の中身は、人によるはず。見た目を頑張る、健康的になる、人から好かれる、雰囲気を明るくする、仕事を頑張って実力をつける、経済力を上げる等々、方向性は様々。“こう在れば自分を自分で肯定できる” 、そう思う魅力を各々が追求すればよろしい。

そんで私は、行動指針が自然と3つ生まれた。で、忘れないように書いとく。

1.上手くいかないことを人のせいにしない、他人には他人の事情がある。人は元々自分の幸せを優先して行動する身勝手な生き物だと認識する

他人には他人の事情があった、ってのはどっかの記事で見たものです。出典を忘れてしまって申し訳ないのですが、読んで(そうだよな)と思ったので取り入れました。裏切ったのにも、きっと背景があったのでしょう。

何でも人のせいにし続けるのは幼稚な行動です。「人のせいにしない」は当たり前…なんですけど、何だかんだで出来ないのもまた人間。「幼稚だー」とか言われても、だってそうなんだもんと思っちゃう。わかる。

が、それだとマジで驚く程なんにも進んでいかない。人のせいにして、自分を正当化してても現実世界は何にも広がっていかない。困ったもんだわ。

幼少期の環境が最悪だったから。こんな裏切りに遭ったから。才能がないから。だから今の自分はこんなに惨めになってしまった、どうして自分ばかり。

そんな感じの思考回路は自らショートさせればよろしい。必要以上に自分を責めるまではしなくて良いと思うけど、少なくとも「自分が決め、自分が行動し、そしたら結果がこうなった」と受け止めることは必須かな。

そして、しっかり頭に入れておきたいのが「人間は自分の幸せを優先し、自分が幸せになる為に行動する生き物だ」という点。そんな行動をするなんて自分勝手だ、裏切り者め。そういう感情を抱えたことがある方は多いでしょう。しかし、人間は理性があるとはいえ、元々自分勝手な生き物です。

自分の行動によって他の人が傷つく、それを認識していながらもそのまま自分の幸せを追求する。自分勝手に見える他人のその行動は、人間の生き物としての自然な形です。他人の自分勝手な行動を責めることはできません。そしてそれを制御することもできない。

2.自分が魅力的な人間になるしかない

さっき書いた通り。他人に対する怒りは、自分への肯定感を高くすればたぶん鎮まる

自分が魅力的だと思う人を想像して、そういう人だったらこんなときどんな言動を取るのかなと考える。諸々の行動基準になりそう。今の自分は魅力的か?と常に自分に問いつつ、過ごしてみるべし。

3.何をやっても頑張っても何も結果を残せない、みたいにふてくされない。誰も信じられないとか可哀想ぶらない

チャレンジには失敗が必ず伴う上、成功率が低いことに取り組むならなおさら結果って中々出ないことがむしろ普通。苦しむ自分の横を、平気な顔してスぅ~っとすり抜けどんどん駆け上がって行っちゃう人っていうのもそこら中にいて、凡人にはしんどい世の中ですけどね。天才がたくさん。

自分はやってもやっても、こうやって失敗して、何にもならない。頑張ったのに、手もとに何も残らなかった。無駄になった。だったら最初から何も挑戦しない方が良かったのではないか…?もう知らない…世の中はクソ。日本しね。

そうやって閉じこもって被害者になりきって過ごせば、自分を正当化できた気がして落ち着きます。それも人生、って感じなんですけど、ふてくされてても何も生まれない現実。

もうやめよう、何かの被害者ぶったところで、誰も自分のことを本気で心配して可哀想とか思ってくれる人なんていない。何か役に立つことを生まなければ、人は私のことを認めない、マジこれ真実。だったら再び動き出すしかなくて、ふてくされた態度など早々に捨て去らねばならぬ。

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  1. 人のせいにしない
  2. 魅力をまとえ
  3. ふてくされない

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強くありたい。とりあえずトレーニング続けて、物理的に強くなろ。鍛錬あるのみ。

以上