人の学歴を笑うな

人の学歴を笑う人は、自分自身の学びを誇ることができない、もしくは自分の中に眠る学歴コンプレックスに向き合わないままオトナになった人だとおもっています

その人は心が痛んだから、防衛するために他人に攻撃をしかけてるんだけど、その心の痛みは自分が自分と向き合ってこなかったことが原因だったりする

さまざまな理由があって、10代の時期に恵まれた教育環境が手に入らない人は結構いて、そういう人はそもそも教育環境(+それによって得られる学歴)を今後の人生の武器のひとつに出来ることすら気づく機会がないまま、社会人になったりしてる

そして社会に出てしばらくしてから、そのあたりの仕組みに気がついたりして、もう学生には戻れない手遅れな自分に絶望感を感じる

ウチの実家は経済的にはマジでオワってて危うかったんだけど、親の人格(?)はよかったからギリなんとかなった(なんとかしてもらった)

学歴は、育った境遇と運で出来てて、それは紙一重でしかなくて。

そういうもの、とおもってます

これって例えば「実家が裕福だ」とか「芸能人並みの容姿だ」とかっていう、持って生まれた者か持たざる者かの話と本質的には一緒だとおもっていて、

容姿が納得いかない形で生まれてきた人に対しては「容姿は選べないからしかたないよ」「運だからしょうがない」と慰みもないこともない

育った家庭の経済力や愛情を注いでもらえるかについても同じ。「子供は親を選べないんだからしかたないよ」と、運がわるかった話に帰着してくれる慰みがある

でも、なぜか学歴の議論だけ「自己責任論」「努力不足」の話になる

中には環境も整っている中でサボり続けた変態さんもいて、そんな人には「努力不足だ」って批判もあるかもわからんけど、たんに運がわるかった結果が今の学歴状態になっている、って人まで「努力不足だ」と言われてしまう節がある

勉強なんてやろうと思えばだれだってできたはずなんだから、って言われちゃう。けどそれは「勉強やろうと思える機会」を10代のときに得ることができた幸運な人の意見でしかない

なのになんか知らないけど、”学歴がない人は努力不足” とかっていう謎の自己責任論が世の中の一般的な意見みたいになってるじゃないですか

だから、実のところは運がなかっただけなのに努力不足だったと自分を責め、その心の痛みから、他人の学歴に口を出したりしちゃう

もしくは通常人生コース(22歳大学卒業)の枠からはみ出て学ぼうとする人に対して、「甘え」だとか「今さら卒業しても社会では通用しない」「新卒採用されないから意味ない」とか言ってしまう。大学行く意味や目的なんて人それぞれなのに。

本当はあなた自身が学びたいのではないか、自分が納得できる学歴が欲しいのではないか

心の痛みから目を背けて他人を攻撃してないで、変わりたければ素直になって、自分の心の痛みを認めて、欲しいものを手に入れるために動かないといけない

そういうコンプレックスは一生つきまとう コンプレックスは真正面から向き合わないと解消できない

自分が学んできたことに自負があったら、他人の学歴をバカにしたり、学校名で差別したり、そんなこと到底できない

学歴はその人のたくさんの歴史や思い出がつまってるものだし

だから攻撃してる人とか見ると、いろいろ考えちゃうな

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